MEMO :: 月見に一杯の日々★

Pain makes man think. Man and an animal have a limit.... with Love. Big Love.

宇宙に浮いてる球の、小粒的世界観って

三千本膠が、なくなるっぽい。
買いだめしている画家も数年前からいるので、今の時期に話題になるのって、何かあったのかな、と思った。
日本画は書き方もまったく分からないけど、日本人形は胡粉と膠で白い肌を作っていたわけだ。
今の粘土の創作人形&オリジナル人形では、膠はボンドに変わっているのが、大部分かと思う。


そして。あー。と、思ったのは、時代でした。
胡粉の素材は、貝。これ、球体関節人形を作る作家は、ほとんど使用したことがあると思う...。
私が粘土人形に魅力を感じている理由の一つに、胡粉の肌触りがあって。
牡蠣、ハマグリを砕いた白い粉というもの。強度も、ツヤも、自由に出来るのが個人的にかなり重宝。
日本画にも使用されているもので。
日本文化には、大事なものなのだというのは作家なら、実感していても変じゃないっす、です。うん。


なんていうか。素材っていうのは、代用できるもの、だ、とは、いえ。
その素材だから出来る画面、質感て、唯一無二なのだ、と、思います。


作る人の数だけ、表現の出現がある。


科学的でも、自然素材でも、どっちでも、どうでもいいけど。


うまくいえないけれど。
膠を作る人は、ちょっと部落のお話もあって。
肉屋の娘の娘なので、ちょっと聞いたことは。
肉ビジネス参入した当時は、親戚に嫌がられたみたい。
危険な仕事だし、やっぱり、いろいろきつい仕事だから。
世界の貧困層の子供が、解体されて吊るされた牛をホースで洗って稼いでいる事実も問題になってるわけで。


人が優劣を決める気持ちはきっと、無くならない。
同じ動物も生物ピラミッドとして、順位制を、教えられなくても、ずーっと、する。あたりまえだけど。
生きる術だ。
鶏も、オオカミだって、そう。


胡粉って、いつまで作る人がいるのかな、と、思う。


胡粉の力で、私は人形を作ることが出来ていて。あの、ツヤ。
胡粉を塗って、磨いてつやつやにした人形はびっくりした。わ!出現。って感じでした。


素材は大事なタイプな、千葉マーコでござる。
なんとなく、見る時に感じる質感覚って、ないですか?
まーったく自信もないんですが。
素材があって、出来たことの重さって、軽視したくないなって思った。


そして、おもしろいことに、なにも無かったからできた作品も、世の中には、たくさん、ある。
うちゅう!!!!ちゅー!!!
手袋で作ったお人形は、ちゃんとお人形だ。超お人形。


さすがに胡粉が無くなったら。嫌だなぁ,,,と、思っただけです、はい。
初めて「エフエム芸術道場」を聞きました。
http://www.tfm.co.jp/dojo/




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